保険屋さん、なんて商売をやっていて本当に有り難いことのひとつは様々な人生に関われることだ。勿論その付き合いには濃いのも淡いのもある。
「保険屋」扱いしてくる人には勿論こちらも深い付き合いをしたいと思わないが、おもしろいのは「敬遠されているかな」、と勝手にこちらが思っていても実はオイラの事を深く信用してくれ気に入ってくれている人もいる事だ。
その時は、何でも決め付けるのはいけない、と心から反省する。
明らかに失礼な態度を取られない限りこちらから了見を狭くすることは無い。
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先日はそんな事を考えさせられたちょっとした事があった。
足立区のお客さん。60くらいだろうか?大人しい小柄な方だ。
結婚されてなく、80歳を超えたお母さんと、殆ど家にいない70歳のお兄さんの3人暮らしだ。
その人も兄さんと言う人も皆仕事はされていない。随分前に無くなったお父さまが資産を残していったのだろうか?
ところが先日お邪魔した時には、去年はお元気だったお母さんが亡くなられた、との事だった。
85歳だったと言う。いつもは大人しい方が随分饒舌にお話をしてくれた。保険が終わっても、ずうっとお母さんのことを話していた。
まるでオイラに一緒にいてくれ、と頼んでいるように。
その時に今まで全く濃い付き合いをしていなかったオイラに何でそんなに話してくれるのか、とちょっと意外だった。
本当にこの方は、大人しい人なのだ。どんな声だったのか全く覚えていなかった程。
そこで繰り返していたのは、こんなにお母さまが急に逝くとは思わなかった、と云う事だ。
しかし85のお母さんだ、自分も60を超えているのだから、それを考えなかったのだろうか、と不思議にも思う。
人間は残念ながら先のことは分らない。細木なんとか、がどう言おうとやはり分らないのだ。
だから人は想像力を駆使して自分に起こるであろう事に思いを馳せるしかない。
このまま行ったら、どんなことになるのだろうか。という事を想像力の限りを使って考えなければいけないのだ。
勿論人生には不慮の事故もある。そんな時には覚悟を決めなければいけないが、案外それ以外のことは人間には予知できるのではないだろうか?
何故なら、未来はもう既に、ここにあるからだ。
芽という形で未来は、ほら、そこにある。
その芽、兆しをオイラたちは増幅して考えて未来に思いを馳せていくんだ。
そういえばあの足立のお客さんは、周りの事にも殆ど興味を持っていなかった。
「となりの田中さんのお婆ちゃんですけどね、」と振っても田中さんを知らなかった。
そこに40年も住んでいる、人が、だ。
その人はたまにくる保険屋さんの他に話す人がいなかったんだ。
亡くなったお母さんがキッチンに立っていた姿をオイラはよく憶えている。
60過ぎまでその方はそのお母さんに飯を作ってもらっていた。
そして今、その方は食べに行くのもおっくうだ、と即席ラーメンを食べている。
自分を傷つけない為にだろうか、自分の人生を見えない壁で囲ってしまった人生のように見えた。
どんな苦しい事が待っているかもしれないが、人間は未来を創造することをやめてはいけない。
そしてどんなに傷つけられても、人は人と関わることを、決して、あきらめては、いけない。
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