愛読している水道橋博士の『悪童日記』に紹介されていた映画を観る。

人間の原罪について、業について鋭いナイフのような問を突きつけてくる映画。
リオデジャネイロで実際に起こったバスジャックを追ったドキュメンタリーだ。(水道橋博士が紹介していなければ決して見る事は無かったと思う。ありがとう!小野さん!)
印象はどこまでも暗い。絶望的にさえなる映画だ。安っぽい感動をこれでもかっ!と与えられている甘やかされた心にはきつい。
それでもこんな凄まじく素晴らしい映画を観る事が出来た事に心から感謝したい。これを観て直ぐにアメリカの友人達に送ってあげたほどだ。
ちょっと前までリオのカーニバルで盛り上がっていた彼の地には、最低の階級の人間がいる、という。それがストリートチルドレンだ。彼らは憎悪の対象にさえされる事が無い。
存在している事でさえ否定されているのだ。彼らの多くは孤児や親を失った子供たち。
人が存在さえ否定される事はどれほど辛い事だろう。その子供たちが肌寄せ合って寝る路上、しかし、その子らを面白半分に殺す奴らがいる。寝ている間に上から石の塊を落として楽しんでいる奴ら。まだ年端もいかない仲間達が朝になると脳漿を飛び散らして死んでいる現実。
バスジャックと言う最も卑劣な犯罪の一つを犯す犯人もそんなチルドレンの一人だった。
母親は自分の眼前で強盗にナイフを突き刺されて死んだ。だから路上に出るしかなかった。ドキュメンタリーはその彼の半生と思いに丁寧に迫っていく。
そして、人質達とのやり取り。犯人のやり場の無い怒りと憎しみが否応無く迫ってくる。
リオに聖母マリア様は降臨したもうか?
人質の中にまだ19歳の眼鏡の女学生がいた。彼女は犯人に聞く。『この仲の一番の被害者は誰だと思う? あなたよ。』
彼女が犯人に聞いた事は俺の心を揺さぶった。『マリア様を信じている?』『そんなものは信じていないね!』
だが俺は思う、絶望の中で奴は自分の目の前にマリア様を見ていたんじゃないか、と。
最低の汚濁の中にこそ聖母は降臨されたのだ。
自分の存在証明をしたかった犯人。憎しみに突き動かされた復讐の鬼畜。
救いようの無い現実の中で、こいつのしでかした事は無意味ではなかったかもしれないと思わされる。
こいつのような飢えた魂が何万と居る事を人々に示す事が出来たではないか?そして今このドキュメンタリーになった事によって世界中の人が問をナイフのように突きつけられている。
低俗な自己保存にしか長けていないような権力は無能をさらけ出してしまった。(そしてこの映画によって恐らくは世界中に。)犯人がテレビの前では射殺される事は無く、密室の中で絞め殺された事は象徴的だ。
現実は、想像を超えるほど、むごく、そして救いようの無いものかもしれない。
今夜は、安部、じゃなかった、アベマリアを聞きたくなった。
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