菊原先生の新刊

良き友人の菊原さんが新刊を著された。

菊原さんとは同じ時期に処女作を出版した事もあり、不安を共有した戦友のような親しみを「勝手に」持たせてもらっている。

ただし、菊原さんはヒットメーカー、若くしてセールスの第一人者として活躍されている。

今や、目標にすべき人の一人だ。

特に今回の本は、クレームこそが飛躍につながるという、ご機嫌な!!!テーマ。僕の経験でもそれはおざなりの言葉ではなくて事実だ!、と断言できる。

一見、逆境や失敗が飛躍につながるというのは、拙著「凹まない人の秘密」でも語られた変化の時代の鉄の成功法則だ。

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Shit happens!(Pardon!)

バカ陽気が続き、気分はすっきり春だ。

仕事をしてるとバチが当たるような気にさえなるこんな天気だが、まずい事は起きる。

まずは、重要な見積もりをかなりの金額間違ってしまった事だ。相手に振る訳にもいかず、これじゃ何の為に仕事をやっているかわからなくなった。「ざけんじゃねぇぞ!」と自分を空しくののしる。

とほほ、何て言葉はもうおやじしか使わないかもしれないが、これほど「上手い」言葉も無い。頭の中に渦巻いているもやもやしたあの感じは、とほほ、としか言えない。

それから、行っているスポーツジムが潰れる、という手紙が来た。後一週間しか営業日がないじゃねぇか。しょうがねぇなぁ、と思わず春の美しい陽気の中、人生の無常を感ずる。

こんな時、アメリカ人は上手いことを言う。その言葉はいつも正しくて、ちょっと切なくて、そして何故か笑えるのだ。

SHIT HAPPNES! (ふざけろ、と言いたくなる事も、起こるさ。)

今宵は、今日届いた村上春樹の「ロング・グットバイ」をテキーラを傾けながら読むとしよう。「さよならを言うのは少しの間、死ぬことだ。」レイモンド・チャンドラー。

The French have a phrase for it. The bastards have a phrase for everything and they are always right. "To say goodbye is to die a little."  From THE LONG GOODBYE

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日常に学ぶ

しっかし、山本モナって人は本当に可愛いな。しかもけなげだ。こんなに魅力があるのを知ったのもフライデーされたお蔭だ。有難うフライデー!モナさんが幸せだったかどうかは分らないが、視聴者の立場から見ると、そのお蔭で目にする機会が増えた。

そう考えるとホントに人生何が幸いするか分らない。目先の損得に踊らされるな、ちゅー事ね。

ニュースにでるだけなら、それを見ない人にはわからなかったからね。しかもいつも気取って無くてはならない。今見るような自然な魅力は出なかった筈だ。

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昨日は久しぶりに世田谷と大田の間を仕事でうろついていた。そこで目にしておもしれーな、と思った事。

女の人がベルがなって今にもドアが閉まりそうな車両に走っていった。がもうちょっとのトコで閉まった。

ま、よくある事だ。この時のはずかしさったらないな。知らない間ににやけてしまう自分がいる。

その子も恥ずかしそうにドアから離れた。

と、

その瞬間。開いたんだ。ドアが!

きっと他の車両に無理に乗り込もうとしたオヤジがいたんだろうーね。

でも彼女は恥ずかしさの余り車両から離れていたんで乗りそこねてしまった。

教訓:いつもドアの前に立っていろ!いつ又、ドアが開くかわかんねーちゅーの!

ああ、又いい事学んだ!

それから、TOEIC、結果来たよ。935点だった。3年前よりも下がった。予定では960点は取れるはずだったのにな。

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No Need To Excuse―Things I learned from Al Siebert

言い訳なんてする必要はない。

ま、必要はない、と言ってるんであってオイラが言い訳はしない男だ!と言い切っているわけではない!

と偉そうな言い訳をかましておいて、本題に入ろう。

Dr. Al Siebertインタビューを採った時だ。生まれて始めてのインタビュー、しかも相手は有名な学者、その上英語で、とトリプルに難しい仕事を前に、「チョー緊張するなぁ」と弱音をぶっこいたオイラにアルは冷静にそして決然とこう言ったんだ。

「気にしなくて良いんだ、ヒロ。君の緊張は、聞いている方は案外分らないものだよ。」

これはおいらにとっちゃ大きな気付きだった。話を聞いている人が分りもしない話し手の緊張をわざわざ言い訳する必要はない。したい気持ちが出てくるのは当然だし、また緊張していたね、とワザワザ指摘する輩はいるだろうけど、それでも、それを先回りしてこっちが言う必要はない

身近な例をとると、必ず1月の4日あたりに到着する年賀状の幾つかには「出すのが遅れて申し訳ありません」と書いてくれているのがある。

丁寧にどうも、とは思うがこれも言う必要は全く無いかもしれない。

だいたいオイラが今年の年賀状を刷り上げたのは1月の5日だった。

それから書き始めるんだからおそらく到着したのは下手すれば10日頃だった。

それでもオイラ、それについて言い訳は一切してまっしぇん!(キッパリ)

何故なら次に相手が見る時は、今年の終わり、つまり来年の年賀状を書く時だろうからね。そんな時に、ちょっとくらい遅れた事が問題になるだろうか?

しかもここに来て〒の遅配の問題が出てきた。益々出したのが遅かったのかは藪の中になる。

そして世の中を見てみると―雪印、不二家。この余りにも似通った2つの不祥事に於いても痛感するのは、言い訳をすることによって火に油を注いでしまった、という事だ。

結論:謝る時は謝る。認めるときは認める。それでいい。言い訳は、いいわけない。(おそまつ)

Happy Birthday to you Al and many happy returns!

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生き延びるコト

やっと、正月気分の薄らいできた今日この頃、如何お過ごしでしょうか?

きっと、会社やスポーツクラブや飲み会で、去年とやたら違う自分であろうとして随分肩に力の入っている輩を見ると思いますが、どうせ2月には元に戻っているからご安心召され!

革命的な変化を成し遂げる事も、そりゃ、たまにはあるかもしれないが、殆どそれは外部からの変化に対する生存をかけた一か八かの適応力ゆえである事が多い。

中々自分からの自発的な努力では難しいんではないかい?

じゃ、どうするか。簡単だ。毎日、毎日、少しづつ変えていけばよい。

オイラが英語をマスターしたのだって、週にまとめて10時間勉強したわけではなく、毎日、毎日、必ず一時間勉強するようにしたからだ。

身体と同じだ。週に習慣的に3回、たとえ一時間でも身体を動かす事で身体は反応していく。

だから、あまりがちがちになるのはやめましょうね。きっと挫折しますぜ、旦那。

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自分のオヤジが元船乗りだからではないが、ちょっと心に残った言葉がある。

自分の乗っている船がいよいよ沈没の危機に瀕したとき。ヨーロッパでは、船長が船乗りにこう、告げるんだそうだ。

「生き延びる才覚のあるものは、生き延びよ。」

もう、こうなったら、俺も、船も、もうどうしようもない。ただ、お前らは、お前らの力の限りを尽くして生き延びてくれ。

昔は、主人たる船長にそんな言葉を言われなくちゃいけなかったが、今は違う、おいら達が自身で自分にこの言葉を繰り返し言わなくちゃいけない。

生き延びる事の出来るものは、(自分で)生き延びよ。そして、いいか、駄目だ、と思った時、本当に沈没してしまうんだぞ。

激動の時代、まず自分を信じることから始めよう。

そして逆説的だが、自分を救う事の出来る人しか、他人は救う事が出来ない。

2007年。オイラは、恐らく3冊の本を書く事になるだろう(出版できるかどうかは知らないが)、そして友人の新谷優先生の処女作の出版を手伝う事になるだろう。保険ももう一花咲かせる為に奔走する事になるだろう。

大変?じゃないさ。

全ては、どんな事も、自分が選んだ事だ。

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扉は、開いている

今日は久しぶりに作野裕樹先生とランチ。

上野のアトレ。上野には数え切れないほど行っているが、アトレというレストラン街には始めて訪れた。気がつかないもんだねぇー!

そこのタイ料理屋で飯を食べたんだけど、なんせスパイシーな料理だから水を飲みながら食いまくったせいだろうか、お腹が急に痛くなってきた。

普通なら時間的な猶予があるんだが、今日は強烈だったね。「おっ!痛いな」と思ったのもつかの間、猛烈な痛みに変わった。

うめき声を上げながら便所に駆け込んだんだけど、あろう事か、一つしかない便器は使用中だった。

もうすでにちょっと括約筋が緩むと危険な状態だったので、地団太を踏みながら30秒ほど我慢した。

が、もうこりゃ、やばいな、という危険水域にまで来ちまったので、ノックをして、「入っていいですか」と声を振絞った。

応答が無かったのでもう一度「はいっていいすか、、、、、、、」と言いながら、思いっきりドアノブを回した!

すると!ぐぁぁぁっぁぁlっぁぁぁぁ!

誰もいないじゃないか。使用中のサインの所がぶっ壊れていただけだよ!あほんだら!

しっかし、案外物事はこんなもんかもね。単なる思い込みで自分で自分を追い込んでしまう。汚い話から今日は大いなる事を学んだ。 うーん、ツイてる!

そういえば、これと似た話をチャーチルもしていた。牢獄の話だ。そこの囚人はその牢獄に何年も閉じ込められていた。

ある時、そこが火事になった。必死になってその囚人は看守を呼ぶが看守はとっくに逃げていた。

そこでそいつは始めてその牢獄の扉を自分で開けようとしたんだ。

そうしたら、、、、、開いた。簡単にそのドアは開いたんだ。最初からカギなんか掛かっていなかったんだ。

俺はその寓話を笑えるだろうか?

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思いが実現するわけ

私が日常的に経験しているシンクロニシティー。

例えば、こんな人がいたなぁ。どうしていっかなーと考えると、その人から電話がある、その人とばったり出会う、その人の噂が耳に飛び込んでくる。そんな事だ。

殆どの人はそんな偶然に意味を持たすことをしないから、じつはかなりのシンクロニシティーを多くの人が経験しているはずなのに、気付かない。

ただ、私自身は、この現象はどういうことなんだろうか?と言う事をずっと考えていた。

こちら側の思いにあちらが反応してくれた。と、我々はそう考えてしまいがちだ。

でももう一つの考え方がある。あちら側が、私の事を考え、それを私が受信した。

そんな事を考えていたら、小林正観さんという面白い人がいて、こんな事を言っているのを知った。

大体の事は後者、つまり我々があちら側の気持ちを受け取ったから、あちらの事を思い出した。そう考えるほうが正しいようだ。

そうであれば、我々の思いや夢、といったものも、我々が夢を勝手に描きそれを掴みに行く、と言うのではないのではないか。

その思いや夢が叶うのを知っているから、いやもっと言うとそれが叶う事を「思い出すから」、その夢を描いてしまうのではないか、と。

なるほど!の考え方だ。人生はいかに自分の都合のいいように考える事ができるか、だから、この考え方はとても痛快だ。

夢を叶える、と力むのではなく、その夢が叶う事を知っている。夢を思い出している。

そう考えるほうが夢を叶える力は何倍も強い。

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